水子の気持ち

当山で言う水子とは・・・

あくまで親の意志で中絶した子どもを

当山では水子と呼んでおります。

 

流産や死産で流れてしまった子どもは、

その家に異流の霊が宿った為に

ご先祖様の意向で産まれることができなかったのです。

 

その為、当山では、流産や死産の子どもは、水子とは言いません。

 

喜んで堕胎する方はおられないはずで、

皆様様々なご事情を抱えておられると思います。

 

ですが、日本の死亡原因の2位は

実際は中絶であるというニュースを目にし、

少しでも水子の気持ちにも目を向け、

当山の華水供養のことを知っていただければ幸いです。

 

先日、供養中のお話です。

寺務方の私はお経を唱えていると、

水の中で溺れていくような感覚になりました。

 

苦しくて苦しくて

水から顔を出して息を吸おうとしても

なかなか息を吸うことができません。

 

「水の中で溺れて亡くなる方はこのような感覚なのか・・・

どのご先祖様がこの苦しさを訴えているのか・・・」

と考えていました。

 

その時、供養を来られていたご先祖様の中に水子がおり、

その水子の子どもが一生懸命私に訴えかけていたようで、

堕胎された子どもは羊水の中で溺れ

こんなにも苦しい思いをしているのかと思うと、

胸が苦しくてたまりませんでした。

 

目に見えないと想像するのが難しいかもしれませんが、

どんなに小さくても私たちと同じ感覚があり、

生きたい生きたいと私たちと同じ心があるんですね。

 

今回の体験で、この水子の子どもに教えていただきました。

 

このような思いをする水子の子どもが

少しでも減ることを願います。

 

当山の華水供養は、一般的な水子供養とは異なります。

一般的な水子供養では、何十年も霊をして修行をしなければなりません。

 

当山では、やっと人間して宿った魂に、再び生まれ変わるチャンスを与える為に、水子を元いた世界にお送りいたします。

そのため、神道の秘傳の修法を用いて執り行っております。

 

水子霊は、ちゃんとした供養をしなければ、

その家に生まれた子どもに嫉妬し、

子どもとの不仲、いじめ、不登校、非行などという形となって現れる場合が多いようです。

 

合掌