なぜ供養をしているのに災いがおこるのか?

ほうけんさんのひとり言

悪いことは、良い事の起こる前兆と考える事や

 

信者様の中には、先祖供養をしているのに、

「悪い事が起きる」と、

文句を言われる信者様が何人かおられます。

 

これは不思議なことでもなんでもないのです。

むしろ、喜ばしいことの前触れ。

 

供養をなさっている場合は、

過去からの悪い因縁が解消される時に

災難という形で「業をはかす」場合があります。

 

その場合は、ご自分たちで対処できる範囲内の出来事で済んでしまいますから。

 

大難は小難、小難は無難いという形で現れます。

 

お不動様が申されるには、

全ては、その者の信心の深さによって結果が変わってくると仰られました。

 

例えば、病に倒れる場合にしても

人のいる前で倒れるか

夜中にひとりで倒れているか

偶然、医者や看護師が出くわすか など

様々な条件があります。

 

そして、

死ぬか、半身不随になるか 言語障害が残るか 何にも後遺症が残らないか

という結果となって現れてきます。

 

これらはまた、その人の信心の深さによるもので、

助けていただけるか

見放されるかは、

日々の行いから生じるものなのです。

 

また、起こった災いも業がはけるためのものです。

 

感謝することで、その因縁は消滅するのですが、

なぜ、このような目にあうのか!と、

不満や文句を言うと、その因縁は来世まで持ち越すということになります。

 

命光阿遮羅明王様のお言葉です。

「悪い中でも感謝はできる」

 

合掌